終わり

 すべての授業が終わった。これで何か不測の事態が起こらない限り、修了できる。各科目の感想は成績が発表されたらそれと共に書こうと思う。今期私は運の悪さとペース配分の間違いが災いして、終盤課題に追われることとなった。最終週は気がおかしくなりそうだった。この課題提出のスピードに関してはとある先生が授業内で言及なさったので、次回そこで少し詳しく書こうと思う。今回ここに綴るのは、吉見宏先生がお亡くなりになった件である。

 

 吉見先生と言えば、本大学院の学生が全員履修する会計職業倫理と、選択科目の公会計論を担当しており、在学生以上の期別においては担当が変わっていない限り、全員がお世話になった先生であろう。授業は双方向性が重視され、学生の自由な意見が飛び交い知的好奇心を掻き立てられる時間であった。その上、授業時間外の学生への負担は、難しくて筆がなかなか走らないものもあったが小レポートが3回のみ(会計職業倫理は他に僅かな予習と発表のための資料作成が必要)で、私自身は最高の科目だったと思っている。他の学生から特に不平不満が聞こえなかったことから概ね好評だったと窺われる。

 吉見先生は本大学院の教授業以外に、本学本部の理事兼副学長も務めておられた。そのため、上に挙げた吉見先生の授業は結構な頻度で授業日の変更があった。それほどまでに理事職が激務だったと思われる。それもそのはずで、吉見先生の理事としての所掌範囲は財務・広報・ガバナンス・地域連携であった。大学が行う事業や計画には毎度予算が付き纏うので、吉見先生の担当は言ってしまえば「全部」である。また、昨今のコロナ情勢により大学のBCPレベルの決定等で頻繁に会議があった。さらに、学外においてはJR北海道の社外監査役や学会の理事等数多くの役職(具体的には下記リンク先を参照)をお務めになっておられた。

 ネットを巡回していると先生の訃報が流れた時に、本学卒業者以外にLRT関係者も惜しんでいたのを見かけた。鉄道関連への造詣も深かった先生は札幌LRTの会で長年会長として札幌市電の在り方に関与されてこられたとか。そのようなオフ会的な会合で吉見先生と知り合って実務家教員として本学に来た先生もいる。

 こうして先生の活動を並べてみると、到底1人ではこなすことができない質と量だと思う。そのため活動量を減らすとすれば、この中で専念されるはずのものは理事職であろう。本学の理事の中には教員出身でない人もいるため、本来は本大学院の講義は受け持たなくても良いものだと考えられる。しかし、先生の選択は違った。

 一つには会計職業倫理と公会計論という難しい科目であったためだと思う。私は本大学院に入るまで会計職業倫理という必修科目の存在は知っていたが、科目名と必修ということが相まって最も望んで受けようと思わなかった科目だった。そう思っていた学生は私以外もいるはずである。制度上必修だからと消極的に受ける学生の姿勢を先生は崩す必要がある。公会計論は少々政治的な内容に踏み入るため、一貫して中立的に教育する難しさがある。だからこそ、吉見先生は吉田学校よろしく後継者が育つまで待ったのではないだろうか。吉見先生の後継者はいるが、まだお若い。これまで、学生の「負担」や吉見先生の「負担」の話をしてきたが、それこそ、後継者の「負担」を考慮した結果とも言える。

 ただやはり何と言っても、先生ご自身が学生に「教え続けたかったから」というのが大きいと思う。昨年私が受講した時、恰幅の良い健康的なお姿だったのを覚えている。しかし、昨年度に会計職業倫理を受け、今年度に公会計論を受講した同期は別人のようだったと言っていた。真偽を確かめるべくネットで調べると、確かにこの学生の言う通りで大分瘦せて印象が変わってしまっていた。療養中で衰弱していたのにもかかわらず、死の直前まで教壇に立ち、教育者であり続けたのだ。先生の逝去を耳にしたとき、そのような先生の生き様が格好良く思えたし、そのような先生の下で学べたことは誠に幸運だったとも思えた。が、それと同時にもう二度と会えない寂しさや虚無感もこみあげてきた。

 吉見先生が抜けた穴は大きく深い。だから大学当局もある先生の言葉を借りれば「混乱してい」た。今期受講者の成績評価の付け方や後任の選定等で。成績評価に関しては、授業中の発言メモがあるので、それが考慮されるとのことだった。残りの講義分の評価は発言する予定だったものを紙に書いて提出というものだったように記憶している(間違っているかも)。公会計論は、先生の説明を聞いてからそれをヒントにして問われたことに発言するという方法が採られていたから、先生の説明が無いのは少し厳しかったかと思う。一方で後任に関しては、裏は取れていないが上で挙げた後継者が担当することになったそうだ。そうであってもそうでなかったとしても、吉見先生の授業シラバスや授業資料等があるはずだから、先生のDNAは引き継がれていくものだと思われる。また、後任の先生におかれては、吉見先生は目指すべき対象ではあるが、吉見先生になる必要は無いので、ご自身のオリジナリティも交えて、それぞれが正しいそして楽しいと思える授業を展開してほしいと思う。

 最後になるが、吉見先生への感謝を次の言葉とこれからの行動で示すことをここに誓って〆る。

 吉見先生、ありがとうございました。